歴史あるエテルナETERNA時計とETAムーブメントとの関係

エテルナETERNA

Eterna Heritage Pulsometer & Super KonTiki  -YouTube動画

限定モデルヘリテージ スーパーコンティキ リミテッドエディション 1973

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1947年、ノルウェーの人類学者、トール・ヘイエルダールとそのチームが、バルサ材で作られたインカ時代の船を模した筏船“コンティキ号”でペルーからポリネシアまでを航行するという冒険に挑み、見事達成しました。この偉業へのトリビュートモデルとして誕生したのが、エテルナを代表する腕時計コレクション“コンティキ”です。この冒険旅行の際、クルーたちの腕にはエテルナの時計が着けられていました。このエピソードは、エテルナの腕時計が当時最も頑丈で信頼できる時計として知られていたことを裏付けています。
『ヘリテージ スーパーコンティキ リミテッドエディション 1973』は、1973年にコンティキコレクションの1つとして登場したダイバーズウォッチ“スーパー コンティキ”へのオマージュとして制作されました。ケース、ダイヤルなど、オリジナルモデルのデザインを生かしつつ現代的にアレンジされた本モデルは、70年代のダイバーズウォッチの魅力的な佇まいを色濃く残しています。

引用元-エテルナ ウォッチ 日本公式サイト

エテルナEternaの歴史

エテルナは、スイス・ゾロトゥルン州グレンヘンに本部を置く高級時計メーカー。 1851年、グレンヘン市から補助金を元資金に、時計職人を養成するための訓練校が設立された。 1856年11月7日、医師のヨセフ・ギラーと、学校の教員をしていたウルス・シルド はエボーシュ(未完成のムーブメント[1])製造会社の「ギラー&シルド」を設立した。 ギラー&シルドはグレンヘンの工業化を牽引し、名声を得た1882年にシルドは国民議会の議員になった。1888年にシルドが58歳で亡くなると、彼の息子のマックス・シルドが会社を継いだ。マックスは商用で出かけたアメリカ合衆国で機械化が徹底されていたことに感化され、職人の熟練技術が至上とされていた母国でも機械化の導入を提案した。時代を先取りした考えはすぐには受け入れられず、失意の中、弟のセオドアに会社の経営権を委任した。セオドア・シルドの下で、20世紀のエテルナは成功を収めていく。
1900年代には、腕時計が流行の兆しを見せ始めており、同社は懐中時計を翻案した婦人向け腕時計を導入した。1905年に「エテルナ」に改名。同社はその後、新しい技術を導入し時計業界をリードしていく。例えば、1908年にはアラームつきの腕時計の特許。1914年に製品化され、ベルン市の博覧会に出品された。 1932年にエテルナはその傘下にETA(エタ)を設立。ETAはエテルナとスイスの時計会社にムーブメントを提供するようになった。この年にセオドアが社長の座を退き、後継者に甥のルドルフ・シルドを据えた。セオドアは1950年に亡くなるまで、役員として経営に携わった。
1930年にはバゲットムーブメントのついた世界最薄の腕時計(当時)と8日式の手巻き腕時計を発表、1938年には最初の自動式時計を世に送った。 1948年には、Eterna-matic(エテルナマティック)自動ムーブメントを開発した。それは自動巻き時計の歴史に革新をもたらすもので、ボールベアリングを5つ配置することによりムーブメントの効率性を高め、バネを摩耗させる摩擦や抵抗を最小限にとどめることが可能にした。内部パーツの疲労が減じ、時計の正確さを高めるとともに、耐久年数を長くした。エテルナマティックは大ヒットとなり、エテルナの看板商品になった。1948年には、5つのベアリングを模したデザインがブランドロゴに採用された。

引用元-エテルナ – Wikipedia

エテルナ電磁時計の分野の技術革新

エテルナの技術革新史は、1970年代以降のクオーツと電子時計の分野でも遺憾なく発揮される。チューニング・フォークつきのエテルナ・ソニック、初のクオーツアナログ式腕時計など多くの名品を発表。1979年にはコンマ98mmという超薄型のクオーツ腕時計リネアを、ETAとの共同開発で完成させている。またスタンダードと言っても過言ではないコンチキは、モデルチェンジを重ねながらも息の長い人気シリーズだ。
今日自らムーブメント製作を行うことはないが、工場に届くムーブメントは品質を保つため十分な検査がされ、機械はかなりの率でムーブメントメーカーへ返品されている。

引用元-ETERNA エテルナの歴史 | VINTAGE WATCH | Curious Curio(キュリオスキュリオ)

ETERNAとETAについての考察

横道にそれますがここで完成品メーカー「ETERNA」とエボーシュ「ETA」について考察します。なおエボーシュという言葉の定義は曖昧で、もともとは“半完成ムーブメント”の意味で使われていました。後にこれを作る専門の製造会社を指すようになったようです。

長い歴史を持つスイス時計産業においては、時計産業に携わる企業、産業の序列は非常にハッキリしていました。19世紀末からの第二次産業革命に影響を受けた時計産業界では「分業」の考えが進みます。完成品メーカーを頂点に下請けメーカー、孫請けメーカーと連なる産業構造は、ある種のヒエラルキーの雰囲気も持っていました。歴史的にヨーロッパの貴族社会と結びつきが強かった時計産業界(参考テキスト)においては、文化的にその素地があったと言えるかもしれません。こういった状況を背景にエボーシュは時計産業界において長い間“低俗”とされる風潮があったようです。1800年代、スイス時計産業の聖都とも言えるジュネーブ市においては、市入口の門より内側にエボーシュの作業所(工場)を設けることを制令として禁止していたほどでした。こういったスイス時計産業の伝統・文化を背景に、自らの経験としてエボーシュの境遇を知っていたであろう「ETERNA」社は、「ETA」社のムーブメントを自社製品に組み込むことを(ブランド戦略も含めて)意識して回避したものと考察します。「ETA」の分離以降、「ETERNA」「ETA」はそれぞれ別工場でムーブメントを製造しており(この時代、技術進歩の早かった自動巻構造などの技術は共有していますが)両社のムーブメントは部品形状のレベルからして違うものとなっています(比較検証)。「ETERNA」製造のムーブメントは「ETA」製造のそれと比べると明らかに(クロノメーター規格取得などの精度レベル、機械の仕上げ等に見られる)高品質なものでした。この一見すると非効率にも思えるグループ内分業は“時計機械から見た”スイス・ウォッチ史の一側面を表しているのかもしれません。

完成品メーカーとエボーシュ※の両方の顔を持つメーカーとしては「Jaeger-Lecoultre」「Girard-Peregaux」なども挙げられます。興味深いのは「Jaeger-Lecoultre」は「Audemars Piguet」「Vacheron&Constantin」「Patek Philippe」などの超一流メーカー用のムーブメントを委託され製造していましたが、これらほとんどのムーブメントは自社「Jaeger-Lecoultre」銘の完成品には搭載しなかったという事実です。これはムーブメント提供先の一流ブランドへの配慮、もしくは契約であったのかもしれません(※Ebaucheという言葉にかつて差別的な意味が含まれていたとする歴史認識もあることから、まかりなりにも高級メーカーであったJaeger-Lecoultreをエボーシュと表現するかは疑問)。これらの機械は時計史にも残る圧倒的に高級なものばかりです。つまり、「Jaeger-Lecoultre」は外部に提供したムーブメントが自社ブランドの完成品に搭載するムーブメントよりも高級であった特異な時計メーカーでした。

引用元-ETERNA Cal.852-S

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